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北の零年

明治維新から数年。北海道開拓に送り込まれた武士たちの苦闘を描いた作品。

渡辺謙が「ずるい」役っていうのも珍しいのではないかな。それにしても香川照之は「いい人ぽいけど、実はワル」っていうのにはまる人ですね。大河ドラマの「利家とまつ」の秀吉役のときにつくづく思ったけれど。

時間が長く、3時間近くある作品。客層はもろに中高年でした。

印象としてはちょっと冗長かなあ……。

ただし、北海道生まれの奥さんは途中からずっと泣いてました。いわく、「あの寒さの中での開拓の苦労は内地の人にはわからんヽ(`д´)ノ」だそうです。
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日本の戦争遺跡―保存版ガイド

かなり分厚い新書だけれど拾い読みのみ。

この本は日本全国に散らばる戦争遺跡(掩蔽壕、飛行場跡、爆撃跡、トーチカなど)を網羅し、その場所や由来などを丁寧に解説した本で、図版も多数使われている。

んが。

なぜ私が「拾い読み」だけにとどめたかというと序章にあたる文章を読んで、その左翼偏向な能書きにウンザリしたから。著者は複数人のグループで残念ながらどういう素性の人かはわからなかったのだけれど。

とりあえず自分の頭の中に左翼偏向除去フィルターをかけて読み進んでいったくらい。

企画内容と密度は申し分ないんだけれど、もう少し中立的な立場や表現で書けなかったのだろうか。

私は別に右よりというわけではないけれど、それでもウゲーと感じたので、結構な人数が本書にはがっかりするかもしれない。
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沖縄へのあこがれ

小さい頃から南の島にそこはかとない憧れがあったのだけど、具体的になったのは沖縄海洋博だった。
それほど裕福な家ではなかった私には行けなかったが、クラスで一人、親戚が鹿児島にいて夏休みに沖縄に行ってきた人がいて、むさぼるように話を聞いた覚えがある。

月日はめぐり、恥ずかしの初デート。
オーソドックスに映画にしたのだけど、それは薬師丸ひろ子主演の「メインテーマ」だった。沖縄を舞台とした映画だ。
万座ビーチの美しい海岸、できたばかりのリゾートホテル、開放的な南の島の情景。
それは私に「ぜったいあそこへ行ってやる」というモチベーションを強烈に叩き込んだ。

それから2年。私は船でついに那覇の地に着いた。
桟橋から降りて岸壁に降り立ったとき、思わずしゃがんで手のひらを地面にくっつけた。
むっとする湿気もなぜかあのときは心地よかった。
本当に海は緑色だし、図鑑でしか見たことのない熱帯魚が泳いでいた。

ちなみに帰りは飛行機だったが、これが私の初飛行機搭乗。

沖縄には都合3回行ったが、車で回ると思いのほか小さい島であることがわかる。もともと歴史好きであるので、三山時代から先の大戦、占領下の歴史も本で読んだ。
ドライブの途中、嘉手納近くに差し掛かったときにF-16が低空で飛んでいるのを見て「ここは本当に日本か?」と疑問も思ったりした。

今はさらに南の外国に行くことが多くなったが、今でも沖縄の地は青春の思い出の地である。


なので、去年できた「ゆいレール」に乗りにいかなきゃ。
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アジア冷戦史

中公新書ということでやや言葉が固く、論文風味だけれどギリギリで一般書レベルに踏みとどまっている感じがする本書。

中身はかなり濃くて読み応えがあります。

旧ソ連は東欧に関してはかんりがっちり手綱を持っていたけれど、中国とは論争となり、北朝鮮では金日成のコントロールができなくなって複合的な対立となった道筋を描いている。

大きく東西対立と言ってたけれどアジアではそれに反日主義やら中華主義がからまりあって、わかりやすい構造ではなくなったとのこと。

そういえば「中ソ対立」を初めて知ったときは「なんで社会主義の国同士でもめてるんだ?」なんて不思議に思ったけれど、武力革命で樹立した政権ってしょせんは「対立者は殺す」って考えになっちゃうんだよねー。

中ソ国境に100万人もの軍隊がにらみあったり、核兵器のシェルターがあちらこちらに掘られたのも実は東西対立ではなくて、こっちのほうが大きかったみたいだし。


大まかにいうと、

中国-カンボジア

ソ連-ベトナム

北朝鮮はそのときどきで日和見(あるいはこれを自主外交というのかw)

さて、かの国はどこへ進もうとしているんだろうかねー。
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その後の慶喜―大正まで生きた将軍

徳川慶喜と言えば徳川幕府最後の将軍として誰でも知っている人なんだけど、ほとんどの人はこの人が大正時代まで生きていたことを知らないだろう。
彼の存在は前半生でのみ語られることが多かったけれど、それでは後半生はどのような暮らしをしていたか、という話。

結論から言うと静岡に30年蟄居していた。

になってしまう。政治向きの発言は一切せず。ひたすら趣味に没頭して生きていた。
頭のいい多趣味なところは変わらず、狩猟、写真、囲碁、将棋などをして暮らしていたとか。かつての部下であり当時は政府の役人になっていた勝海舟が後見人と監視人をかねており、そこそこの礼遇をもってくらしていたとのこと。

しかし、30年の蟄居ののち東京に出てきた。これは子供達が就学年齢に達し学習院に通学しなければならなくなったためだ。当時、華族の子弟は学習院に入れることが法律で義務づけられていた。そのために身辺は寂しくなる。適齢期を迎えた娘は嫁ぐ。
むろん、本人の老化もあって宗家(第16代 徳川家達。田安家から宗家を継いで、貴族院議長にまで上り詰める)とのやりとりもつらくなる……とのことで転居した模様。

それからもう一つ。
慶喜が公爵に叙せられたことも大きい。つまり名誉回復されたということ。
階位も徐々に挙げられて将軍だったときに正二位に復帰。
社交界にも体力の及ぶ範囲で復帰した。

これは秩禄処分の結果不平がたまっていた旧武士層へのなだめと、政府の寛容なところを見せるという面もあるけれど、維新から30年もたちようやく彼の果たした役割が正しく評価されたことに由来する。

従来は「幕府をつぶした将軍」としてのイメージで、大坂から軍艦に乗って逃げた「卑怯者」というレッテルが貼られていたのだが、「内戦に西洋諸国が介入してきたら、日本は植民地化してしまう。それだけは避けなければならない」という考えのもと、事前に知っていた「王政復古のクーデター」を黙認し政権を朝廷に返したことで、最小限の混乱で新体制に移行でき、近代化への道を進むことができるようになったとの評価が生まれたことによる。

都内では巣鴨に屋敷をかまえた慶喜はまだ当時珍しかった自転車に乗って銀座まで行ってたりしたそうだ。新しモノ好きは年を取っても衰えず、最後に手に入れたのは自動車だったという。
当時、まだ日本には150台しか車がなかったそうな。
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信長軍の司令官―部将たちの出世競争

中公新書今月の新刊。著者は以前「信長の親衛隊」を書いた人。信長公記の専門家で資料を基にした解読の様子がとてもおもしろい。通常、この手のタイプの本は論文みたいなかんじになって退屈なのだが、この人が書いた本はなぜかそういうところがない。

信長がそれまでの武将と違うのは、農兵分離をしていつでも軍事行動ができるようにしたこと、というのは有名だが、自分一人で動くのではなくて、自分の配下を各方面に派遣して一軍を統率させるという方式も彼が最初のようなもの。
それらに抜擢された武将のことについてのひととなりや、具体的な軍制についての解読がされている。柴田、丹羽、明智、羽柴あたりは有名だけど、その他の武将も細かくてこのあたりの時代のマニアな人にはたまらない本になるかもしれない。
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機動戦士ガンダムI〜IIIメモリアルボックスセット

20050125.jpg

ひょんなことで入手。未使用美品。
最初、「ザクのプラモ?」と思ったけれど、中には未開封のビデオ3巻組が。
もったいなくて開けられません。

DVDのほうは録音しなおしたらしくてアフレコもしなおしているので、微妙に違うんですよね、オリジナルと。
すごい違和感があったりして。

それに塩沢さんのようなすでに亡くなられた方の場合は新しい人が声を当てていて、それも残念。やはりマ・クベはあの声じゃないとなあ。
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スカパーの映りが悪い。

うちはスカパー契約してて、朝の時間はNewsbirdというTBS系列の24時間ニュースを流しているんだけど、ここ最近映りがわるいんです。画面がチラついたと思ったらブルーバックになってしまう。音声は問題なし。他の局だと、HistoryChannelもややその傾向はあるけれど、Newsbirdほどではないし。

地上波やBSではまったく問題ないのでテレビのせいではない。

年末の津波のときに延々とBBCを見ていたけれど、そのときはまったく気にならなかったのでその後、「何か」があってこうなっちゃったのかなあ。

気づいたのは1月12日の週だったかな。
気になるのはこのあたりに最大級の太陽フレアがあったという話。しかし、それだったらすべてのチャンネルに影響があってもおかしくないし。

謎である。
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外国人にとっての日本語

FF11で知り合ったアメリカ人の少年がいます。
彼は病気を患っていてその養生の期間だけゲームをしていたようで、今はすっかり元気になり、寄宿学校に通っています。そのため、今はゲームをしていません。

彼は日本語を勉強していて、ゲーム中でもよく日本語で会話していました。
といっても北米版のソフトだと日本語入力はできないため、ローマ字での表示なのですが。
しかし、私の書く日本語は日本語として表示されているのでそれを読むことができるそうです。

今はゲームができない彼とはメールのやりとりをしていたのですが、MSNのIDを持っているか尋ねられたので教えたところさっそく登録が来ました。

久しぶりのチャットです。

彼にアメリカ人にとって日本語の難しいところを聞くと、

・まったく思考の仕方が違う。そこがおもしろい
→おそらく構文がまったく違うところからでしょう。

それからなるほどと思ったのが、

・日本語にはスペースがないのでよみずらい。

欧米のラテンアルファベットやキリル文字でもそうですが、単語と単語の間には必ずスペースが入りますよね。たしかに日本語にはこういうのはない。
そのかわり漢字かなの入り交じり文にして読みやすくしているのですが。

こういう指摘は「外の目」じゃないとわからないですよね。

彼の学校には日本人留学生もいるようなのですが、彼らは彼の話す日本語が嫌いだと言われたそうです。理由は「too formal」。
要するにカタい日本語だということで。
しかし、それはしょうがないかなと思います。日本語の難しいところの一つにはそういう表現のあいまいさというところがあり、年代や地域によってまったく違ってしまうところがあるからでしょう。
日本人はニュアンスをくみ取りますが、彼らは耳から入ってきたらローマ字化された綴りを目で追うので、同じことを言っていてもまったく違う表現になるところに混乱するみたいです。

まあ、ちゃんと彼の言いたいことがわかるので問題ないと思いますが。
言葉は通じればいいんですから……。

英語にも「オタク」という言葉が入り込みましたが、日本語のマイナスイメージはなく、逆に「ゲームやアニメに精通するエキスパート」という意味があります。プラスイメージしかない言葉になっているのです。そんな彼らの中では日本語を読めたり話せたり書けたりする人は「too cool」(かっこよすぎ)だそうです。

ローマ字で書いてくるアメリカ人の日本語を読みながら、ボロボロの英語で返事する日本人の私。

なんだか妙ちくりんなチャットでした。
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携帯変更

携帯を買い換えることにしました。

これまでドコモでしたが今回からauに切り替え。

私の携帯歴は長く、初代は10年前、IDOのアナログ携帯。当時は全部で10万もかかるものでした。しかしこの携帯はアンテナ不足で圏外になることも多く、ドコモに切り替え。

5年ほど前に会社支給の携帯でi-mode初代のN501になり、私物のドコモは解約。その後会社支給だったのか個人に切り替えられ、一昨年に現在のN504になっていたのです。

今回の携帯ではじめてカメラ付きになりました。使わないと思うけど。
もともとほとんど携帯を使わない人なので、登録している人も少ないし半分は身内だったりするので、移植作業はすぐに終わりました。

いろんなゲームもできるみたいだけれどパケ死しないように気をつけます。
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「その後の慶喜」 (講談社新書メチエ)

徳川慶喜と言えば徳川幕府最後の将軍として誰でも知っている人なんだけど、ほとんどの人はこの人が大正時代まで生きていたことを知らないだろう。
彼の存在は前半生でのみ語られることが多かったけれど、それでは後半生はどのような暮らしをしていたか、という話。

結論から言うと静岡に30年蟄居していた。

になってしまう。政治向きの発言は一切せず。ひたすら趣味に没頭して生きていた。
頭のいい多趣味なところは変わらず、狩猟、写真、囲碁、将棋などをして暮らしていたとか。かつての部下であり当時は政府の役人になっていた勝海舟が後見人と監視人をかねており、そこそこの礼遇をもってくらしていたとのこと。

しかし、30年の蟄居ののち東京に出てきた。これは子供達が就学年齢に達し学習院に通学しなければならなくなったためだ。当時、華族の子弟は学習院に入れることが法律で義務づけられていた。そのために身辺は寂しくなる。適齢期を迎えた娘は嫁ぐ。
むろん、本人の老化もあって宗家(第16代 徳川家達。田安家から宗家を継いで、貴族院議長にまで上り詰める)とのやりとりもつらくなる……とのことで転居した模様。

それからもう一つ。
慶喜が公爵に叙せられたことも大きい。つまり名誉回復されたということ。
階位も徐々に挙げられて将軍だったときに正二位に復帰。
社交界にも体力の及ぶ範囲で復帰した。

これは秩禄処分の結果不平がたまっていた旧武士層へのなだめと、政府の寛容なところを見せるという面もあるけれど、維新から30年もたちようやく彼の果たした役割が正しく評価されたことに由来する。

従来は「幕府をつぶした将軍」としてのイメージで、大坂から軍艦に乗って逃げた「卑怯者」というレッテルが貼られていたのだが、「内戦に西洋諸国が介入してきたら、日本は植民地化してしまう。それだけは避けなければならない」という考えのもと、事前に知っていた「王政復古のクーデター」を黙認し政権を朝廷に返したことで、最小限の混乱で新体制に移行でき、近代化への道を進むことができるようになったとの評価が生まれたことによる。

都内では巣鴨に屋敷をかまえた慶喜はまだ当時珍しかった自転車に乗って銀座まで行ってたりしたそうだ。新しモノ好きは年を取っても衰えず、最後に手に入れたのは自動車だったという。
当時、まだ日本には150台しか車がなかったそうな。
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「無条件降伏は戦争をどう変えたか」(PHP新書)

戦後生まれと教育を受けた私の世代では「戦争」というのは総力戦であり、無差別爆撃であるというイメージがあります。戦争というのはそういうものだと。
そしてポツダム宣言を受けて「無条件降伏」したというのも「当然のこと」のように感じていたのですが、そうではないというのがこの本の趣旨。

第一次大戦以前の戦争は、一般国民とは隔絶した戦地に軍隊が行って戦って負けたら、講和条件を話し合って、領土の割譲なり賠償金取って終わり。っていうのが基本でした。日清・日露戦争はこれに当たりますね。

ところが、第一次大戦で投入された空軍は第二次大戦のときには進化して都市爆撃ができるまでになってしまっていました。第一次大戦のときは複葉機だったのでせいぜい偵察くらいだったのですが。

戦争法規(ジュネーブ条約)というのもあり、それには「非戦闘員を殺傷してはならない」という項目もあるのですが、先の大戦は思いきりそれに違反しています。
それがあまり問題にならなかったのも無条件降伏というせいでもあるのでしょう。

米国の世論というのは「倒れるまでやっつけろ」というのが基本であり、戦争を起こしたのがまたもやドイツだったため、「徹底的にドイツを破壊して二度と戦争を起こさないようにする」という世論が沸騰したこと。
フランス領北アフリカに侵攻した米英軍が、現地のフランス軍(これはドイツ軍に協力していた)と話し合いの結果投降したのですが、かわりにそのフランス軍高官を現地の高等弁務官に起用したことが、米国世論の反発を買ったこと。(簡単にいうなら、ナチスの手先と手を組んだのか!! っていうアメリカ人っぽい単純な価値観ですね)

この問題から目をそらすために「無条件降伏」というのが持ち出されたというのが真相だそうです。

政府内には「そんな条件出したら、相手が余計に必至になるだけやんけ」という反対論もあったのですが、4選を果たしたルーズベルトは聞く耳もたなかったそうです。

しかし、ルーズベルトが病死してトルーマンになってから実質的には無条件降伏路線は変更されることになります。天皇の戦争責任を不問にして天皇制を残すというのが条件だったわけです。

ドイツ・イタリアともに開戦時の国家元首であるヒトラーやムッソリーニは死んだわけですが、昭和天皇は助かったのがなによりの証拠といえるでしょうか。

天皇を生かしておいてその力を流用したほうが軍の武力解除や占領統治がうまくいくと考えたのですが、まあそのほうが楽だったんでしょう。

しかし、現在の兵器は高性能化し、大量虐殺が簡単にできるようになってしまいました。戦争は起こらないほうがいいに決まってます。
しかし、某国のように「わがままな」支配者がいるのも現実。

どうすればいいんでしょうかね……。
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ルーティンワーク

ここ二年やっている仕事というのは突発的ミッションであって、ルーティンのものではない。よく、「ルーティンワークだけでつまらない」という愚痴を聞くことがあるけれども、ルーティンにはルーティンでいい部分もある。

・手法、ノウハウが確立されていて代換が効く。
・仕事量の増減に対しても比較的対応しやすい。

突発的ミッションなので、ノウハウや手法から考え開発していかなければならない。たまにならいいけれど、来る仕事来る仕事それぞれがこれまで誰もやったことのない類のものなので、いいかげん疲れてきてしまっている。
さらに、先にどのようなトラブルが来るのか予想しずらいので、休みもとりづらい。
関係各部署へのネゴシエーションもからんでくるので面倒に拍車がかかる。

昔やっていた編集の仕事は仕事量としては莫大な量だったけれど、新入社員でもなんとかこなせたのはノウハウが確立していたからだった。要するに「教えられたとおりにすればできる」ものだったのであるが、現在のものは誰も教えてはくれない。
原野に道を造るがごとき仕事はたまにならば、やりがいも出てくるけれど、二年も続くと疲弊してしまう。

まあ、今やってる仕事が早く自分の中でルーティン化することを祈ろう。
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北海道帰省(3)

疲れからか予定時間を30分過ぎての起床だったので朝風呂をあきらめて朝食へ。
9時にチェックアウトして出発。今日は帰るだけなので一路千歳へ。

快調に高速を飛ばす奥さん。
予定よりもかなり早く千歳に着いたので書店に。
現地の出版社が出しているローカルな本をあさるのも好きな私です。
空港内に入っていたラーメン屋、ばり屋でしょうゆラーメンをいただきました。

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味はかなり濃いです。完食してから搭乗。

今回は初めて二階席にしてみました。
二階席っていうのはファーストクラスだけだと思っていたのだけど、ローカルラインではこういうのもあるんですね。
順調なフライトで羽田に到着。高速バスにて帰還しました。
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北海道帰省(2)

朝早く起きて温泉につかってから出発。

奥さんの故郷です。

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大阪生まれの私には信じられない光景です。スキー旅行で見たことはありますが、こういう土地にも人は暮らし、育てているんですよね。

さて、今日は南下して私が小学生のころから行きたかったところへ行きます。

その場所は昭和新山


ここで昭和新山の説明。

戦時中の昭和18年、有珠山近くで急に地震が頻発し、東側にあった麦畑が急速に隆起し始めました。この隆起は溶岩ドームを突き出して1年あまりの活動ののちに隆起を止めました。
これが昭和新山です。
しかも地元の郵便局長、三松さんがこの火山の成長記録をつけていて、戦争後の火山学会に提出され、世界に類を見ない「火山の成長記録」として学者たちの絶賛をあび、その記録は「ミマツ・ダイヤグラム」と名付けられて一躍世界的に有名となりました。

この話を小学生のときに読んで、「いつか行きたい」と思っていたのですが、ようやく夢がかなったのです。

200kmほど走ってついに昭和新山に到着。

centaurus.jugem(2).jpg

うおーーーーーーー
本物だ!!!!!!1111!!!! すげーe;.gkd;r;gふじこ

零下10度のなかで年甲斐もなく大興奮してハネる私を奥さんがどんな目で見てたのかは知るよしもありませんヽ(;´д`)ノ

(あとで聞いたところによると「生温か〜く」見守っていたそうです(●´―`●))

さらに、厳冬の有珠山にロープウェイで登りましたヽ(`д´)ノ

昭和新山は標高400mくらいなので、上から見下ろす感じになります。

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寒いというよりは痛い寒さのなかで写真とりまくり。

残念なのは三松政夫記念館が休館だったこと。また来るぞヽ(`д´)ノ

このあと虻田町立火山科学館で展示を見てから宿へ行きました。
洞爺湖湖畔の宿に投宿。さっそく温泉に突撃。

まったりしていたら夕飯の時間。バイキングだそうで、当然、北海道の味覚を(●´―`●)

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ご飯を食べたあとは「鉄道員(ぽっぽや)」を見て涙し、気分転換に再び温泉に突入してから就寝。
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北海道帰省(1)

今日から奥さんの実家へ里帰りです。
前にも書いたとおり、親に顔合わせする前に入籍したため、奥さんの親と会うのは初めてですヽ(;´д`)ノ

私の嗜好をご存知の方には信じられないかもしれませんが、真冬の北海道に突貫むすることになりましたヽ(`д´)ノ

8:30に出発、高速バスにて羽田につき、軽く食事をしてから千歳に向かいます。
ほとんど寝てましたが。

千歳についてからは車を借りて奥さんの故郷へ向かいます。千歳から100km北上したところにある旧・炭鉱町。運転は奥さんに任せます。なんせ、私は雪道を運転したことがありません。

新婚夫婦、初の里帰り途中で事故死

なんていう見出しを新聞に載せたくないので、私は助手席です。

内地で100kmというと相当な距離です。東京−甲府くらいに相当しますが、北海道ではそんなにたいしたことのない距離だそうで。
途中の高速道路が吹雪で閉鎖されていたので、空いているICまで下道を走っていったために予定時間をかなり過ぎて到着いたしました。

気温、零下8度。しばれる中、お母さんは外で待っていてくれました。
ゆっくりといろんな話をしてから、実家近くにある温泉に移動。
今日はここで泊まることにしていました。

冷えた身体を温泉で温めてから、部屋に入ってごちそうを食べながら歓談です。

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21時ころにタクシーでお母さんを送り出して就寝。
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大阪帰省(3)→ラ博

7時30分起床。
朝食付きセットなのでバイキングのご飯をいただき8時30分ころ出発。
新大阪発9時49分ののぞみで新横浜へ。途中はほぼ爆睡。

新横浜についたのが12時過ぎだったので、そのままラーメン博物館へ行くことに。コインロッカーに大きな荷物を預けて、突入。

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奥さんが「久しぶりにみそラーメンを食べたい」とのことなので、最近新規出店してきた札幌の欅というラーメン屋へ。なんと90分待ち。
それでも愚直に待ちました。

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とてもおいしいミソラーメンでした。

そのあとは支那そば屋という店へ。テレビでえらそうなことを言ってる佐野という人が店主の店です。こちらは20分待ちで入店。

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普通のしょうゆラーメンでした。おいしいけど、んー、それほど諸手を挙げてスゴイ、というほどでもないかと。

あとは一階の展示物を見てから自宅へ。
ずっと立ちっぱなしだったのでけっこう足にきてしまいました。

テレビをだらだらみて、ちょっとFFに入って年始の挨拶して就寝。
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大阪帰省(2)

朝10時起床。

七人でお雑煮をいただいてから、新婚旅行のビデオを公開することに。
まあ、おいしいところだけをつまんで見せたので40分くらいかな。

だらだらしてたら父に「早く見物につれていったれ」と言われたので13時に出発。
まずは天満へ行き、本日の宿に行って大きな荷物だけを置いてもらおうと思ってたらチェックイン時間前なのに「お部屋の準備はできておりますので」と部屋に入れてくれました。さすがアパホテル(笑)

大阪経由で阪急に乗換えて南茨木まで行き、初めての大阪モノレール乗車で万博公園へ。
20年ぶりくらいに来ました。目的は太陽の塔。奥さんが見たいとのこと。

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すっかり整備された公園をぶらついたあとは、千里中央までモノレール、そのあとは北大阪急行・御堂筋線にて心斎橋へ。

これまた久しぶりの「心ブラ」(今はこんなこと言うんだろうか)で、道頓堀まで行き、大阪ビギナーの奥さんにくいだおれ人形・グリコの電飾・カニ道楽の三カ所を押さえる。ものすごい人混みでした。

最初の予定では金龍ラーメンに行くつもりだったのだけど、革な人から「新世界のてんぐへ行けヽ(`д´)ノ」と言われ、そちらにいくことに。

私が高校生のころは新世界なんて行けませんでした。怖くて。

なんだかきれいになったみたいで、動物園前からジャンジャン横町へ。てんぐ前到着。30分待ち。串揚げの店です。

私は実はこの手の店は得意じゃないんですが、うまい。けっこう食べました。奥さんは泣きながら食べてました。うますぎるそうです。

そのあとは通天閣へ。大阪の生まれ育ちの私ですが、実は一度も登ったことがないのです。けっこうギリギリの時間だったのですが、大阪の夜景を堪能しました。

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海遊館の観覧車? いったことないのでわかりません(´з`)y-〜

地下鉄で扇町まで行き、ホテル帰着。

NHKで「大化改新」を見たあと、露天大浴場でまったりとお湯につかってから就寝。
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大阪帰省(1)

新横浜から新幹線に乗って一路新大阪へ。北海道の生まれ育ちの奥さんはこんなに長距離の新幹線に乗ったことはないらしく。
天気がすばらしくよくて、素晴らしい富士山を見ることができました。

16時半ころに到着。妹もすでに着いており、奥さんを紹介。

入籍する前に親に会わせていなかったので、順序が逆になってしまいましたが、がんばっていました。私は来週、北海道です。

弟も彼女を連れて到着、実家は二人→七人に大増量となりました。
食べ過ぎて苦しいヽ(;´д`)ノ

NHKの自然の番組をみたあと、踊る大捜査線THE MOVIE 2をみてしまった。
途中から見たのだけれど、一度ちゃんと見てみたい。

風呂上がったあとも適当にテレビ。

弟は両親に「はやくはっきりせえ」(結婚するなら早くしろ)とかなりせっつかれたらしく、「兄ちゃん、結婚ってなんなんやろな」と愚痴っていました(´з`)y-〜25時睡眠。
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