土曜日、軽く散歩へ。
一級河川の鶴見川に流れ込む支流が近所を流れているのですが、その支流に流れ込む小さな川のあとを見つけました。
川の痕というか暗渠化されて散歩道になっています。東京では緑道となっていることが多いですが、支流の支流なので舗装されているだけでした。
しかし、この道はずっと桜並木が続いていて桜のトンネル状態でした。
上京してから「川の痕」っていうのに興味を持った私は、世田谷に住んでいた期間が長かったこともあり教員委員会が発行している分厚い「世田谷の歴史」まで買い込んで読みふけっていたこともありました。
世田谷の川については
ここが非常に詳しいです。
さて、川の痕をチェックするポイントですが……。
(1)不自然な蛇行
→Rの小さめな蛇行している道は昔ながらの街道か川のあとが多いです。谷筋なら川、尾根筋なら昔の道という判定ができます。かなり特殊な例で江戸自体に作られた用水路の痕というものがあります。この場合、尾根筋に作られています。Rが大きい場合、稀に「廃線跡」だったりします。
例1
世田谷区三本杉あたりの環八と世田谷通りの交差付近です。
色を塗ってあるのが昔の大山街道。このあたりは東京オリンピックのために拡幅・直線化されたため、このように昔の痕跡が見えます。
例2
世田谷区上用賀の馬事公苑のあたり。色を塗ってあるのは1663年に玉川用水から分岐して作られた品川用水の跡です。1952年に埋めたてられました。
例3
世田谷区二子玉川の西側です。色を塗ってあるのは東急砧線の跡。ここに貴重な写真がありました。世田谷とは思えない閑散としたところですね。
(2)両脇の家の玄関をチェック。
新しい家の場合はわかりませんが、ある程度古い家の場合、道のほうに玄関がありません。元々川だった証拠です。
(3)並木などがある
川の並木がそのまま生き残った例もありますが、緑道化する場合に並木にすることが多いようです。
さて、○○川と書くのは別に名前を伏せているわけではなくて、名前を知らないからです。合流地点から遡っていくと途中までは普通の道路と並行して桜のトンネルが続いていました。パッと見には中央分離帯がある道路に見えますが、交差点では入れないように柵があり、もともと川だったことがわかります。
てくてく歩いていると太鼓の音が聞こえてきて、某大学に。マーチングバンドの演奏をやっていました。
そうか、この時期は新歓か〜
もう20年近い昔の情景が目に浮かびます。
近くの神社で花見をしようとしたら追い出されて、どこに見に行ったんだっけ……嵐山だったかな?
川の跡を遡っていくと急な上り坂に。地下からかすかに水の流れる音が聞こえます。
ところどころにあるマンホールには「あめ」と書かれていました。つまり、この下にあるのは下水道ではなく中水道なわけです。坂を登りきるとぷっつりと途絶えました。キレイな幅のある道路となって真っ直ぐ北へ伸びています。
てくてく歩いていくと近所の駅に出ました。
ここでしばし買い物をして元の道を戻って帰宅。
自宅に戻ってから国土地理院のサイトで25,000分の1の地図を見てみると、川筋はあそこで止まったわけではなくて、キレイに整地されただけのようでした。谷筋は北に伸び、電車の線路を超えても続いており、そのあと東のほうで途絶えているようでした。
場所によっては昭和20年代の地図が閲覧できるので、まだ区画整理などが行われていない時代の地図を見ようと探したのですが、このあたりの地区は作られていなかったらしく、発見できませんでした。
昔の川を辿る散歩はなかなか楽しいですよ。