ピロウズ結成20周年にして初武道館ライブ

2009.09.17 Thursday 19:31
kazuto funahashi


キーワード上位に「ピロウズ」が出てたので驚いた。
武道館ライブだったんだね。
あのピロウズがねえ……

20周年か……正直、ここまで長く続くバンドとは思ってなかった。

デビュー当時、私は彼らの担当だったので、初期のライブを何本か見ているし取材もやっていた。


「俺らのファンの女の子ってデブが多いんですよねー」なんて、誌面にかけないようなことをバンバン言ってて大笑いしていた。


そのころ、カメラマンデビューしたN君は彼らがとてもお気に入りで、密着して写真を撮っていたようなんだが、残念ながら陽の目はみなかった。彼がカメラマンをやめてしまったからだ。彼の写真はよく言うと「無色透明」、端的に言うと「面白みのない写真」だった。


音楽雑誌のカメラマンというのは、なぜか一段低く見られていて、なかなか著名になるとはいえない。山内順仁さん、菅野秀夫さん、大川直人さんあたりは別格で、他の媒体でも撮るようになっているが、その他は一般的にはあまり知られてはいない。


Nくんはめでたく誌面デビューはできたが、なかなかそこから次へ行くことができなかった。当時、私は「ピロウズ」の写真集の企画を立てたことがあったが、上司に即却下された。そりゃ、そうだ、まだ彼らはようやくパワーステーションを埋めることができるぐらいで渋公すら一杯にできなかった。

今にいたるまで彼らにはヒット曲と呼べるものはないし、アルバムがめちゃくちゃ売れたというわけでもない。それで、ここまで活動を続けてきたというのはある意味、稀有なことだと思う。


20年にして武道館ライブ。

ピロウズっぽい、かっこよさだと思う。

当時、私が一番好きだった彼らの曲を。

the pillows / Energy!




Nくんは出張帰りの新幹線の中で知り合った女性と結婚し、その女性の親が手がけるジャンクショップの店長になった。一度だけ店に訪れたことがある。中古 PCやMacが並ぶ店の奥で、もう使わなくなったカメラを手にしながら、「あれ以上の才能、俺にはないし。趣味で撮っていければいいよ」と言った。

間寛平の取材のとき、カメラマンの彼が逆に聞かれていた。

「じぶんはどうしてカメラマンになりたかったの?」(関西人は相手のことを「じぶん」と呼ぶ)

それに彼は「水俣病患者を撮った写真に心を動かされて、自分もこういう写真を撮りたいと思ったから」と答えた。その彼が報道を選ばずに音楽にきた理由は不明だが、もしかしたら「無色透明」な彼の写真は、報道向きじゃなかったかな、と今は思う。


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