ドキュメント出産(2)【パパ編】は以下
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ひとつ上の階の陣痛待機室に車椅子で移動してからの記憶はさらに分断化。この部屋は両親学級で一度見学していて、ずらっと6〜8床程度のベッドがカーテンで仕切られていて、分娩室がすぐ隣にある。いったんダンナさんが待機室から出て、そのあいだにNST(ベビーの心音と陣痛の間隔を測定する機械)をつけられたり、病歴や手術歴に関する問診などなどを陣痛の合間に受ける。合間といってもすでに陣痛は3分間隔になっていて、3分間隔で約1分の陣痛の波が襲ってくるので、質問を受けて答えようとするとすぐに次の痛みが襲ってくる。
ダンナさんが戻ってからの医師やスタッフとのやり取りは、痛みで朦朧としていたのでダンナさんの日記を読んで改めて記憶しなおすという感じ。ただ、体につながれるチューブや機械が増えていくことで、そのときが着実に近づいてくることを感じていた。ダンナさんが入院手続きや飲み物を会に売店へ走っていたときは、ひたすら呻いたり「痛いよう…気が遠くなっちゃうよぅ」と言う程度だったのに、ダンナさんがそばにいると甘えが生まれるのか「わたし頑張れるのかな」「怖いよう…」そんな情けない弱音も吐いてしまった気がする。
ドクターとのやりとりで、「児頭骨盤不均衡」といってわたしの骨盤がベビーの頭の大きさに比べ狭いこと。陣痛が進行しているにもかかわらずベビーがいっこうに降りてくる気配がないこと。このオペのレベルが『準緊急』であること、しかしオペ室がいっぱいでもうしばらく待つしかないことなどを知る。
痛みって、時間制限のある我慢ならなんとか出来ても、いつまで我慢したらいいのかわからない痛みは、その倍も辛く感じるものだなぁ…恋愛と一緒だなぁ…なんてどうでもいいことを思う。
こんなに痛いのに平然と訪れる生理現象。数日間苦しんでいた便秘とともに尿意を感じる。
けれど車椅子でトイレへ移動なんてとても出来ない状態で、トレイ状のおまるを用意されるが、がんばってみたものの無理。次第に(この陣痛の痛みも、お通じさえあれば少しは軽減されるんじゃないか)と思い込み始め、なんとしてでもトイレへ行かねばという使命感が芽生えだす。「車椅子、頑張る」とダンナさんとナースに支えられ、ヨロヨロと車椅子でトイレへ。とりあえず、女子としてここだけはと、心配で個室に同行しようとするダンナさんを阻止。大きいほうはとてもじゃないけど無理だったものの、おしっこはよくがんばったというぐらいに排出して、少し楽になる。
安堵感から痛みの合間に徒歩で陣痛待機室に戻ることが出来た。ベッドに横たわったとたんに「あぁ゛ぁ〜次の来たぁぁぁ゛〜痛いぃ〜」となったのだけど。
痛みが来るたびに、尾てい骨の上を死ぬほど強く押されると、ほんの少し痛みが和らぐ。たぶんここを押すために、ゴルフボールやテニスボールを分娩のお供にするようになったんだと思うけど、テニスボールみたいにやわらかいものだとどうなんだろう。わたしにはとにかくダンナさんの渾身の力をこめた指圧が一番だった。「もうちょっと上!」「もっと強く!」「とにかく押して!」よく、陣痛時にあまりの痛みでダンナさんに酷い言葉を吐いてしまったなんて話をよく目にするので、わたしは気をつけようなんて思っていたけど、この指圧の加減に関しては、やはりちょっと命令口調になってしまった。
ダンナさんがドクターに「とにかく彼女の痛みを和らげてやってください!!!!」と強く訴えているのを見て泣ける。
ダンナさんの訴えのおかげでウテメリンを点滴投与。ただし、このお薬を使うことで多少のリスク(主に早産防止に使われる薬で、子宮の収縮を弱める効果がある。術中の出血量が増える、術後に子宮が元の大きさに戻るのを一定期間阻害するなどの副作用がある)があることなども説明されていた。
点滴のおかけで、陣痛の間隔は少し伸び、痛みもほんの少し和らぐ。
何度もこまめにスタッフが入れ替わりにやってくるうち、14時から手術開始と告げられる。ダンナさんに今の時刻を聞くと13時40分。確か家を出たのがまだ8時台だったから、もうそんなに長い時間痛みに耐えていたことに驚く。
明け方の痛みで目覚めたときからすでに、8時間半が経過していた…。
(続く…)
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