2005/04/13 Wed
11:47 | posted by
momoca funahashi
みなさん宗教ってなんですか?
わたしは実家は確か、禅宗なのですが、詳しくは実はよく知りません。
でも小さな頃、お寺のすぐ裏手にあった祖父母の家に、週末はいつも家族で泊まりに行っていたこともあり、日曜の朝はおじいちゃんに手を引かれてお寺に連れて行かれました。
おじいちゃんはわたしが生まれたときには既に、真ん丸禿げ坊主で、いつもお気に入りのハンチング帽をひっかけて、腰に右手をあてて、左手でわたしの手をしっかり握り、お寺への坂道を登るのでした。
わたしはわたしで、おじいちゃんにしっかり握られた右手が汗ばむのがちょっとうっとおしいような、でも嬉しいような、不思議な気持ちで、自分の左手を背中の丸まったおじいちゃんを真似て腰にあてながら、ゆっくりゆっくりお寺への坂道を登りました。
お寺では確か、近所の檀家さん(老人が多かった気もします)が集まって、お掃除をしたり草むしりをしたりします。鼻をくんくんとすると、広い広い厨房からは、ご飯の炊ける幸せの匂い、お味噌汁を炊く優しい匂いが。
おじいちゃんに絞ってもらった雑巾を広げ、畳を端から端まで休まずに一直線で拭くのが好きでした。大抵は、途中でコケたり、疲れたりするのですが。
お掃除が終わると確か、お坊さんのお話があって、それはいつもなんだか「ちゃんとしなくちゃ」と子供ゴコロにも思うものでした。
お経を上げるときには「はい、桃ちゃん」と子供用のひらかなの経本を渡されていたような気がします。
辛い正座の後は配膳のお手伝いをして、ようやく朝ご飯です。確か日曜にこうしてお寺に来るのは毎週のことではなく、当番があった気がします。たいていの日曜は、おばあちゃんと母が作った朝ご飯を食べていましたから。
「○○さんの孫さんは、いつもおじいちゃんと同じ格好で坂を上がってくるねぇ」
「顔もほれ、おじいちゃんそっくりだものねぇ」
「あら、おばあちゃんにも似てきたよ」
「アンタのおばあちゃん。若いときは秋田美人で有名だったんだよ」
などと、子供だというだけで、お年寄りに可愛がられて、お味噌汁とご飯、それにお新香と蕗か何かを炊いたの程度の、あっさりしたものでしたが、とても嬉しい時間でした。
田舎のそういうコミュニティというのが、今の世の中どんどんなくなって来てしまっているんでしょうけれど、自分を培ってきたもののひとつだと思うと、とても愛しく思います。
こうしてお嫁にきたことで、わたしは嫁ぎ先の宗派になるのでしょうけれど、こういうココロはいつまでも忘れたくないな・・・と思うのでした。