たとえば。

2004/05/15 Sat 00:00
momoca funahashi


揺れてばかりのこのココロが嫌い。



今まで歩いてきたどの道も、あとほんの少し継続することで、道端に咲いていた花の蕾みはたぶんほころんでいたのだと思う。いつだってどこにだって・・・わたしは花の蕾みを抱えてたっていたんだと思う。



たとえば言葉の代わりに暴力でわたしを抑えていたあの人だって、あと少しわたしが包み込んであげる寛大さをもっていたならば、たぶん今頃・・・微笑会って抱き合って眠っていたんだと思う。



たとえば最後の最後に幾晩も・・・言葉の代わりに泣くことでわたしを愛していることを伝えようとしたあの人だって、あと少しわたしが大きな心で少しの時間を差し出していたなら、1年後には微笑んでライスシャワーを受け止めているのだと思う。



たとえば、時間とそれまでのお互いの心の傷に苦しむあなたとだって、あと少しわたしが鈍感になってただひたすら頷いて肩を抱かれて歩いていたなら、今夜その胸に抱かれて快楽の渦に落ちている頃なんだと思う。



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『後悔だけはしたくない』



そう思って生きてきたはずが、後悔ばかりしている。大切な何かをいつもつかみきれずにいる。真っ直ぐなココロは時に、自分を傷つけてばかりで、一番愛しい人のココロに影ばかり落とす・・・





わたしは自分がとても嫌い、今は。



いつもいつも恋愛の相談を女友達から受けるたび「自分を大切にしなくちゃダメじゃない、誰よりも自分を愛して大切にできるのは自分なんだよ」そう言いつづけてきたのに。



「わたしもうほんとに死にたいの・・・」泪ながらにそう言う女友達にはいつも「ほんとにほんとにそれで楽になるなら・・・それでいいと思うよ。止めないよ。でもわたしはアンタが死んだあと、ずっとずっと泣き続けるよ・・・でもいつか・・・わたしはアンタのことなんて忘れるよ」そんなこと言う、ひどい女はわたしでした。





わたしは自分の歩いてきたこの道が、とても嫌い、今は。



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今日だってあとちょっとわたしが、あなたの言う言葉や仕草を、気に留めずにあなたの母のように寛大でいたなら、こんな夜にはならなかった。




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