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東京タワー

ネタばれがあるのでまだ未読の人は読まないほうがいいかもしれません。



コラムニストのリリー・フランキーが初めて書いた長編小説にして自分の半生と母親のことを書いた物語。

弟が読んで号泣したというので、妻が氏のファンということもあり購入。
ちなみに私のそれまでのイメージは「エロいことを書いているうさんくさそうな人」だった。

物語は著者の出生から母の死までの40年弱の物語である。
幼くして父親と別居し母親と二人で暮らし、高校入学からは一人暮らしをはじめた氏の考え、生活、青春、5年かかって大学を卒業したあと最底辺の生活から現在にいたるまでの暮らし。そして、その裏にはいつもこの母がいて最後の7年は著者と東京で暮らしていたという。

ストーリーはほぼ時系列通りに進むのでそのあたりはすんなりと頭に入る。

世評では「号泣する」と言われていたが、私は泣かなかった。確かにグッとくるところは至るところに存在するのだけど、そのたびに著者の持ち味でもある軽妙な文章表現で寸止めされてしまうのだ。少々哲学的な部分も浮いている気がした。しかし、この部分を削ったとしたらあまりにもベタになってしまうというところもあるので賛否の判断はしにくい。

死は悲しい。まして肉親の死であり、母ひとり子ひとりであり、さんざんに苦労をかけたけなげな母親の死なんだから悲しいに決まっている。
だから私は逆に著者のダラしなさに目がいってしまう。怒りさえ感じる。
別居していたオトンの態度も。その狭量さに。
そして、それを一番わかっているだろう著者の悲しみも。

こう書いても結局のところ私には「著者の悲しみ」の質量はわからないだろう。
それは人それぞれの両親とのつながりの長さと深さに比例していて、おのおのが「そのとき」が来るまでわからないものだろうから。

おばあちゃんが冷えて半ば黄色くなったご飯を「ひとりじゃけえ、それでいい」と食べるシーン。
貯金の有無を尋ねられたオカンが著者の大学の卒業証書を取り出して「これに全部使った。だからこれは宝物だ」というシーン。
姉妹と従兄弟と著者でハワイ旅行にいったとき、叔母が日本から持ってきた割り箸を使い終わって洗っていたら、従兄弟が「そんな貧乏くさいことするな」と怒り、叔母が泣いてしまうシーン。
こちらのほうがグッときた。ささいなところに見え隠れする諦念とけなげさに悲しくなる。それはこの世代を生きた庶民に共通のものかもしれない。


批判的なことばかり書いたけれど、これはいい小説だと思う。
マザコンすぎるという批判もネット上で見たが、これはこういう環境だったのだから別にマザコンとも思わない。

私も実家にいた時間より、実家から出てくらした時間のほうが長くなった。
ちなみに私も「オトン」「オカン」と呼ぶ。
実家に帰るのは年に一度、正月だけだ。
電話もほとんどしないのだけれど、結婚してからは妻が頻繁に連絡を取ってくれるようになって親も安心しているようだ。

しかし、失われた時間は取り戻せはしない。
これからはできるだけ話を聞いてやろうと思った。

この本を読んでるとき、父から電話があった。
普段は適当に話をしてすぐに切ってしまうが、このときは一時間近く話を聞く。用件は取ってつけたもので、結局は元気にやってるのか声が聞きたかったのだろう。
妻には「ああいうときは負担をかけるからこっちから電話をしなおすものよ」とたしなめられて反省する。

長い時間話を聞いたり、父や母の興味のありそうな話を振ったり。

つまりは、そういうようにしようとする力がこの小説にはある、ということだ。
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