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国歌いろいろ

五輪の表彰式ではいろんな国の国歌が流れます。
日本国歌の「君が代」は、世界の国歌でも最も短い歌の一つ。
戦後、日の丸とともにいろんな議論がありますが、私はこのメロディーは好きですし、歌詞はもともと平安時代の和歌。なんの問題もないと思います。

君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで

あなたの治世は はてしなく続く 小さな石が集まり 大きな岩となって その上をこけがびっしりと生えるまで

意味的にはまあ、こんなところでしょう。

国歌といえば英国国歌「God Save The Queen」はかなり古い曲であり、スイス、ドイツ、ロシア、アメリカはこのメロディーに独自の歌詞を載せて国歌としていた時期がありますし、リヒテンシュタインの国歌は現在でも同じメロディーです。

God save our gracious Queen,Long live our noble Queen,
God save the Queen:
Send her victorious,Happy and glorious,
Long to reign over us,
God save the Queen.

神よ我らが慈悲深き女王を守りたまえ 我らが気高き女王よとこしへにあれ、
神よ女王を守りたまへ
君に勝利を 幸福を栄光をたまはせ
御世の長からむことを
神よ女王を守りたまへ


君が代と似た印象があります。

さて、次はアメリカ。
アメリカ国歌は「星条旗」というタイトル。「星条旗よ、永遠なれ」は別の曲なので注意。「星条旗」は米英戦争の時に英軍艦隊に夜間攻撃を受けた米軍の砦の上に星条旗が翻っているのを見た弁護士が一夜で書きあげた詩で元になっています。

Oh, say can you see, by the dawn's early light
What so proudly we hailed at the twilight's last gleaming?

Whose broad stripes and bright stars, through the perilous fight.
O'er the ramparts we watched were so gallantly streaming?

And the rockets' red glare, the bombs bursting in air,
Gave proof through the night that our flag was still there,

Oh, say does that star-spangled banner yet wave.
O'er the land of the free and the home of the brave!

おお、見えるだろうか、夜明けの薄明かりの中
我々は誇り高く声高に叫ぶ 危難の中、城壁の上に
雄々しく翻る 太き縞に輝く星々を我々は目にした

砲弾が赤く光を放ち宙で炸裂する中 我等の旗は夜通し翻っていた
ああ、星条旗はまだたなびいているか? 自由の地 勇者の故郷の上に!

こんな感じ。戦争のときに作られた愛唱歌や軍歌がそのまま国歌になるのは、よくある例で、有名なのはフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」。

Allons enfants de la Patrie,Le jour de gloire est arrivé !
Contre nous de la tyrannie,
L'étendard sanglant est levé, L'étendard sanglant est levé,
Entendez-vous dans les campagnes Mugir ces féroces soldats ?
Ils viennent jusque dans vos bras Égorger vos fils, vos compagnes !
Aux armes, citoyens,Formez vos bataillons,
Marchons, marchons !
Qu'un sang impur Abreuve nos sillons !

進め 祖国の子らよ 栄光の日は来た!
我らに向かって 暴君の
血塗られた旗が 掲げられた 血塗られた旗が 掲げられた
聞こえるか? 戦場の 獰猛な敵兵の咆哮が
奴らは君らの元に来る 君らの子と妻の 喉を掻ききるために!
市民らよ 武器を取れ 隊列を組め
進め! 進め!
敵の汚れた血で 我らの畑の畝を満たすまで!

エグい歌詞ですな。
まあ、この歌はフランス革命のときに、革命をつぶす目的で諸外国がフランスへ出兵するという知らせを聞いた工兵大尉が一夜で作ったといいます。同じように戦争のときにできた国歌は中国のものも。タイトルは「義勇軍行進曲」。

起來!不願做奴隸的人們! 把我們的血肉、築成我們新的長城!
中華民族到了最危險的時候、每個人被迫著發出最後的吼聲。
起來!起來!起來! 我們萬眾一心、
冒著敵人的炮火、前進! 冒著敵人的炮火、前進!
前進!前進!進!

起て!奴隷となることを望まぬ人びとよ! 我らが血肉で築こう新たな長城を!
中華民族に最大の危機せまる、 一人ひとりが最後の雄叫びをあげる時だ。
起て!起て!起て! 我々すべてが心を一つにして、
敵の砲火をついて進め! 敵の砲火をついて進め!
進め!進め!進め!

元は1935年の作られた抗日映画の主題歌。作曲したニエ・アルはその後日本に亡命しましたが、鵠沼海岸で水死。現在、その場所には記念碑が建てられています。

こんなふうに国歌の歌詞は血なまぐさいものが多いです。ドイツはどうかなと調べてみると。


Einigkeit und Recht und Freiheit Für das deutsche Vaterland!
Danach lasst uns alle streben Brüderlich mit Herz und Hand!
Einigkeit und Recht und Freiheit Sind des Glückes Unterpfand
Blüh' im Glanze dieses Glückes, Blühe, deutsches Vaterland!


統一と正義と自由を 父なる祖国ドイツの為に
その為に我らは挙げて兄弟の如く 心と手を携えて努力しようではないか
統一と正義と自由は 幸福の証である
その幸福の光の中で栄えよ 父なる祖国ドイツ

割と普通。でも、これには裏がありました。この歌詞は3番なのです。
1番の歌詞はこんな感じ。

Deutschland, Deutschland über alles,Über alles in der Welt,
Wenn es stets zu Schutz und Trutze Brüderlich zusammenhält.
Von der Maas bis an die Memel,Von der Etsch bis an den Belt,
Deutschland, Deutschland über alles,Über alles in der Welt!

ドイツよ、ドイツよ、すべてのものの上にあれ
この世のすべてのものの上にあれ
護るにあたりて
兄弟のような団結があるならば
マース川からメーメル川まで エチュ川からベルト海峡まで
ドイツよ、ドイツよ、すべてのものの上にあれ
この世のすべてのものの上にあれ

真ん中あたりがいかにもヤバそうです(笑)
マース川は今のベルギーからオランダを流れている川で、かつての「神聖ローマ帝国」のフランスとの国境線でした。
メーメル川はリトアニアとロシア領カリーニングラードを流れる川で、かつての東プロイセンの国境でした。

エチュ川とはイタリア北部の川でアディジェ川と呼ばれており、以前はオーストリア帝国の南の国境でした。

ベルト海峡とは今のデンマークにある海峡で、ユトランド半島とフュン島の間にあります。別名リレ海峡。

と、まあ、かつての最大版図を思い切り書いてあるわけで、現在はこの1番は使われておらず、人前であからさまにこの1番を歌うとネオナチ認定となるそうな。

しかし、この歌詞が出来たときはまた、ドイツ帝国は生まれておらず、ドイツはたくさんの領邦で構成された地域でした。そのことに胸を痛めた詩人で大学教授だったホフマンが「同じ言葉を話す人々がいつの統一された国民になったらいいな」という願いを込めて書かれたものであり、今の世界情勢とはちょっと違うというところに留意すべきでしょう。
さて、私の母校の校歌も同じようないきさつで「なかったことにされている」2番があります。

1番の歌詞は

あかき血潮 胸に満ちて 若人 真理(まこと)の泉を汲みつ
仰げば比叡 千古のみどり 伏す目に清しや 鴨の流れの
かがみもとうとし 天の明命 見よ わが母校 立命 立命

まあ、とくに問題はないところです。

しかし、2番は。

見よやみどり とわの映えは あふぐもかしこき 平安の御所
よき師友どち 和みてここに 契ひて結べる 
「禁衛」「立命」 躍進日本の輝きを得る 見よ 我が母校 立命 立命

禁衛ですよ、禁衛!!
これは以前、立命館がどこにあったのかを知る必要があります。
今は京都市の北西部と滋賀の草津市にキャンパスがありますが、それ以前のキャンパスは京都市の広小路というところにありました。今の京都府医科大学のあるあたりです。
そして、ここは京都御所の隣。というわけで、「いざとなったら禁衛(近衛のこと。天皇直属部隊)として陛下をお守りせよ」という意味がこもった歌詞なのです。

今はどうだか知りませんが、私が通っていたころは母校は左翼色がものすごく強かったのですが、戦前は国家主義に染まったかなり右翼色の強い学校だったのです。元々が元老・西園寺公望の私塾が源流で、西園寺の秘書が創立した学校だったのでしょうがないかもしれませんが。しかし、滝川事件で京大を追われた教授たちを受け入れるなど、リベラルな一面もありました。

さて、戦争に負けて、立命館は微妙な立場に置かれました。GHQでは「解体すべき国家主義的大学」にリストアップされたほど。しかし、戦後に総長になった末川博士の改革や、朝鮮戦争の勃発によって、話はうやむやになり、今日に至っています。戦後に左翼色が強くなったのは、戦前の右翼色の揺れ戻しなのではないでしょうか。
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