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この世界はなぜあるのか。

別に変な宗教にはまったわけではなく、夫婦喧嘩したわけでもなく、ヤバいクスリをやっているわけでもないのですが、昔からフとしたときに頭の中に生じる考えについてまとめて書いておこうと思います。


簡単に言えば「なぜ自分はここにいるのか、この世界はなぜ存在しているのか」という疑問です。

最初にふと思ったのは小学校4年生の夏休みでした。
クーラーもないムシムシした部屋でごろごろ転がっているときにふと、こんなイメージが浮かび上がりました。

他人の腕を動かそうと念じても動かすことはできない
自分の腕なら動かすことができる
なぜだろう?

それは自分の意思が頭から腕に伝わるからだということは理解できました。
では、なぜ自分と「他人」は「つながっていないんだろう?」

自分という個人と他者が別々の存在である、という当たり前のことに気付いた瞬間でした。

では、「なぜ自分はここにいるのか?」。

なにかの使命を持って生まれてきたとか、そんなうぬぼれなんてありません。10歳でも私はそれが「単なる偶然」だと考えました。

そのころから天文に興味があった私は、宇宙の広大さと地球という惑星の、たぐいまれなる偶然が積み重なってできた環境について知っていました。それほどまでに偶然が重なって知的生物が生まれ、このような社会が作られているけれど、じゃあ、この世界はいったいなぜ存在しているの?

スッと自分を俯瞰に見てしまうのです。
自分がなぜここにいるのかを。

夏休みが終わり、「夏休みにやったこと、考えたこと」を発表するという授業がありました。私は今書いたようなことをもっと簡単に言ってみました。もしかしたら、先生なら、なにかいいヒントをくれるかもしれないと思ったからです。
しかし、先生は「ああ、そういうことを考える時期は誰にもあるのよ」と軽く流してしまいました。私は失望しました。

一方でこの問題について深く考えないようにも思っていました。
恐怖があったのです。
この事をずっと考えると頭がおかしくなる、発狂するんじゃないかと。

さらには、「それは解答のない疑問なんだろう」とも「それがわかったら宗教の教祖になって大金持ちになれるだろう」とも思って、まっすぐに考えることを避けました。

それでも、フとした瞬間にスッと「こんなことを考えている自分」とは何なのか? と思ってしまうのです。自分はなぜここにいるのか。

なにか理由がほしいのでしょう。でも、理由なんてない、ただ世界は「理由もなくここにある」だけなのだということもわかっているのです。

それでも、こう、この世界の外側に別のなにかがあるような気もするのです。小説「ループ」や、映画「マトリックス」を見たときの、あの衝撃。外側にもしかしたら「なにかが」あるのではという。

それはビッグバン宇宙論を説明するさいによく使われた、大きな風船モデルからかもしれません。

「ビックバンが起こって風船のように宇宙がすごく早く大きくなったのはわかった。でも、じゃあ、風船の外側はどうなってるの?」
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