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村上春樹の転居暦を巡る

ちょっと前の日記から村上春樹の転居暦について調べてみることにしました。


村上春樹は京都のお寺の三男の父親と、大阪の商家の娘の間に生まれました。
生まれたのは京都ですが、父親が国語の教師をしており、私立甲陽学院中学に奉職することになって西宮市夙川に移り住みます。
夙川は今ではお屋敷町としてのイメージがありますが、彼が住んだのは社宅でした。甲陽学院の運営母体は、関西でも有名な蔵元である白鹿酒造で、ここの社宅に住んでいたとのことです。

小学校時代、夙川の東から西へ、さらに芦屋川の西へ転居。香炉園小学校に通います。
芦屋といえば、これまたお屋敷街のイメージですが、彼が住んだのはJRより南側の下町でした。お屋敷街が阪急よりも北、山のほうに位置します。(このへんは白羽監督のほうが土地鑑あると思うが)

中学は市立精道中学校に通いました。

高校は県立神戸高校。創立110年を超す名門であり、兵庫県でもトップクラスの進学校です。他に出身者としては今日出海(作家)、竹久夢二(画家)、小松左京(作家)、吉川幸次郎(中国文学者)、扇千影(女優、政治家)、井深大(ソニー創立者)、志村喬(俳優)、高島忠夫(俳優)などがいます。

村上春樹は高校まで芦屋市西蔵町に住んでいました。なお、彼が進学で東京に移転したのちも、両親はここに住み続けましたが1995年の阪神淡路大震災で、住める状態になくなり、京都に転居したとのこと。

一浪のあと、早稲田大学第一文学部演劇科入学に入学。和敬塾に入寮。この寮は「ノルウェイの森」のモデルにもなっている。ただし、半年で「追い出され」、西武新宿線の都立家政駅に転居。敷金・礼金なし、3畳で家賃4500円。ここは半年で引き払う。

その後、三鷹に引っ越し、結婚するまで暮らす。

クラスメートと学生結婚した村上は、夫人の実家に転がり込む。ここは文京区千石。夫人の実家は布団屋だった。

水道橋のジャズ喫茶で夫婦ともどもバイトしながら、ジャズ喫茶の開店資金をためた村上は国分寺に転居し、国分寺にジャズ喫茶を開店する。開店資金500万のうち、半額は夫婦でまかない、半額は双方の両親からの借金だった。

開店から3年後にビルの立替にともない、店を千駄ヶ谷に移転、住まいも店から300mのアパートに転居するする。その翌年から小説を書き始め、半年を書けて処女作「風の唄を聴け」を書き上げて「群像新人賞」に11月に応募する。そして翌年4月、受賞する。

受賞後そのまま店は続けるが、2年後に千葉県船橋市に移転。ここで「羊をめぐる冒険」を執筆。3年後、藤沢市鵠沼に移転。ここで「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を執筆。1年で鵠沼を引き払い、再び千駄ヶ谷のマンションに移転するが、また1年後に大磯に移転する。4年後の2000年に大磯内で移転。現在もここには「村上」の表札がかかっているが、外国滞在から帰国したら南青山のマンションにいると思われる。

以上、

http://www.tokyo-kurenaidan.com/index.htm

の「村上春樹の世界」からまとめてみました。

ネタもとのサイトには写真がふんだんにあるので、興味のある方はどうぞ。
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