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あの日。

1995年1月17日。
私は当時世田谷に住んでいた。
編集者をやっていて、この前夜も午前2時ころにタクシーで帰宅。そのまま布団にもぐりこんだのだった。

翌朝、午前9時ころに起きてテレビをつけるとまず最初に目に飛び込んできたのが、阪神高速の高架が横倒しになっている映像だった。



なんだこれは。



すぐに大阪の実家に電話。つながらない。
出社するギリギリまでリダイヤルしたがつながらなかった。

やむなく出社。上司に実家と連絡がつかないこと、明日、連絡がつかなかったら明後日から2日ほど休みをもらえないかと聞いて許諾を得た。
その日は早めに帰り電話するもつながらなかった。

2日め。会社で大阪に持っていくリストを作成していた。10円玉100枚、10リットルのポリタンクに入れた水、毛布、無洗米、携帯ガスコンロとガス缶、カップラーメン、そのほかもろもろ。まだ、新幹線が名古屋までしか行けなかったので、名古屋でレンタカーを借り、東名阪から西名阪で奈良に入り、そこから大阪へ入るつもりだった。

2日目の夜。帰宅後電話してみたらあっさりとつながった。

電話の向こうの親父が一言。

「遅い」。



違うっちゅーに! ぜんぜんつながらなかったんだっちゅーに!
テレビで見てたら重い瓦屋根の古い建物が倒壊しているというから、思い切り実家の構造に適合していたので、マジであせっていたのだった。


大阪は震度4。それでも「死ぬかと思った」らしい。
うちのある近辺は付け替える以前の大和川本流が流れていた跡地で、けっして地盤はよくない。それも心配だったのだが、自宅の被害は「トイレのタイルが2枚割れた」だけとのこと。


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数年後、営業に異動したときに先輩とあの日の話になった。
当時先輩は大阪営業所にいた。ちなみに大阪営業所は梅田の高層ビルの33階にあり、エレベーターが止まってしまったので、オフィスまでたどり着くのも一苦労だったらしい。

「で、そのときどうだったんですか?」
「実はね、私はそのときはちょうど東京にいたのよ」


うちの会社はグループ会社も含めて人事異動を1月16日に行っていた(今は違う)。で、先輩は東京への異動告知を前日に受けて、一足先に東京での住まいを見つけに行ってたのだった。そのため、ちょうどその日は不在だったという。


「戻ってきた大阪の部屋、どうでした?」
「もう、なにもかもぐちゃぐちゃ」

こういう話を聞くと運命とか感じてしまう。

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そろそろ関東に大きな地震が来る来るといわれ続けてきたけれど、そのときちゃんと助かるかどうかは、そのときになってみないとなんともいえない。
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