日本の音楽雑誌には「評論」というのは存在しません。あれは宣伝雑誌です。
日本の音楽を楽しむ層は評論を必要とするまでに成熟していません。コレから成熟するかどうかも疑わしいでしょう。
その理由は関心の低さにあります。私が現役編集者だった15年くらい前でも、「就職したらあまり聞かなくなる」「音楽雑誌なんて買わない」というのが普通でした。読者層が若年層に偏るため、ナショナル・クライアントの広告が入りづらく収入が安定しません。必然的にレコード会社やその親会社にあたる家電メーカーの広告が多くなります。
そうしたら、広告主であるレコード会社所属のアーティストの批評、とくに悪いことを書けるような状況ではなくなってしまうのです。
昨今ではライブへ行く層も高くなり、音楽への関心はより高まっているとも思えますが、「批評」についてはほぼ皆無と言っていいでしょう。音楽を楽しみ、踊るためにあり、批評する対象にはなっていないのです。少なくともこの国では。
そんな中、とんでもない企画をやった雑誌がありました。
「シンプジャーナル」という音楽雑誌です。かなりの老舗で1960年代から続いていた雑誌でしたが1990年代に入ると寄せ狂うロック大衆化やビジュアル化の嵐の中で部数が急減していました。そんな中、タイトルのようなすごい企画をやってしまったのです。
「日本の脳死音楽ライター50人」と題したそれは、アーティスト側ではなくて、音楽ライターについての批評(というよりあれは悪口)を書き連ねるという企画をやってしまったわけです。週刊誌にとっては毎週やっているような企画でしょうが、予定調和の穏やかな波の中にいる音楽雑誌業界ではどこもやったことのない企画で大激震でした。
休刊するという話を聞いていたので、「最後っ屁」かなんて思いました。
我々にとってみれば毎日毎週つきあっている人たちの悪口が書かれているわけです。しかも、老舗音楽雑誌に。「新譜ジャーナルは気が狂ったな」と思いましたよ。
案の定、シンプジャーナルは執筆陣から総スカンを食い、「誰も書く人がいない」状態となって廃刊しました。自殺したようなものです。
編集長は「刷新プランも作ってあり、非常に残念」というコメントをしていましたが、それも疑わしいものです。
1990年代は音楽雑誌の最盛期でした。音楽の消費が「ファンとなって味わう」というところから「カラオケで歌う」「ライブで楽しむ」という方向に動いた結果、アーティストのコアな情報を求める層が少なくなり、さらにはインターネットの登場でタダでその手の情報が手に入ることによって音楽雑誌、情報誌はどんどん休刊していきました。
今は全盛期の3割程度にまで縮小してしまっていると聞いています。