2005.07.22 Friday
20:10 | posted by
kazuto funahashi
明治と昭和にはさまれて印象の薄い大正天皇の実像にせまる。逸話の多い父と子に比べて、大正天皇のエピソードで世の中に広まった話といえば「頭が少し・・・」。
少年時代に病気ばかりで学問が進まず、そのために詰め込み教育をされたせいで、またまた病気がちに。有栖川宮が実地教育を口実にした全国行脚の旅で、健康を回復し、また各地の国民と気さくに話をして人気が高かったという。
しかし、大正天皇の病弱さは、周りの者を心配させていた。ちょうど革命によってロシア、ドイツ、オーストリアなどの王室が消滅しており、強力な肉体と精神を持つ天皇が必要とされていた。
即位したあとの大正天皇はどんどん衰弱していき、皇太子に摂政をまかせて静養することに。
あまり形にとらわれることなく、言いたいことはズバスバものを言うあたりも「君主は謹厳で物静かなほうがいい」という帝王学からは外れており、大正天皇は周りから「実質上の譲位」を強要されたという見方もある。
しかし頭が悪いとか精神障害であったというのは当たらず、皇太子時代に保護国であった韓国に行ったときに韓国語に興味を持ち、自ら話せるくらいにまでなっていたとのこと。
昭和の大礼や全国行幸も大正天皇が皇太子のときに行った行事が雛形となっている。
偉大な父のあとを受け継ぐのは辛かったのでしょう・・・
2005.07.22 Friday
20:09 | posted by
kazuto funahashi
戦前の日本国内行政を一括して担当した内務省。
現在の総務省、国土交通省、厚生労働省、警察庁を合わせた巨大な官庁だったこの役所の実態を描く。
実はそれほど強い役所ではなかったということを事実を元にして描いている。
それよりも解体されたことで逆に各省庁が巨大化し、さらに行政組織が肥大化したことを憂慮している。
現在役人の天下りが批判されているが、戦前はそういう役人のために貴族院議員や枢密院顧問官といった名誉職が与えられ、民間への天下りを防いでいたという。