国歌いろいろ
2012.08.15 Wednesday 19:49
kazuto funahashi
さて、私の母校の校歌も同じようないきさつで「なかったことにされている」2番があります。
1番の歌詞は
あかき血潮 胸に満ちて 若人 真理(まこと)の泉を汲みつ
仰げば比叡 千古のみどり 伏す目に清しや 鴨の流れの
かがみもとうとし 天の明命 見よ わが母校 立命 立命
まあ、とくに問題はないところです。
しかし、2番は。
見よやみどり とわの映えは あふぐもかしこき 平安の御所
よき師友どち 和みてここに 契ひて結べる
「禁衛」「立命」 躍進日本の輝きを得る 見よ 我が母校 立命 立命
禁衛ですよ、禁衛!!
これは以前、立命館がどこにあったのかを知る必要があります。
今は京都市の北西部と滋賀の草津市にキャンパスがありますが、それ以前のキャンパスは京都市の広小路というところにありました。今の京都府医科大学のあるあたりです。
そして、ここは京都御所の隣。というわけで、「いざとなったら禁衛(近衛のこと。天皇直属部隊)として陛下をお守りせよ」という意味がこもった歌詞なのです。
今はどうだか知りませんが、私が通っていたころは母校は左翼色がものすごく強かったのですが、戦前は国家主義に染まったかなり右翼色の強い学校だったのです。元々が元老・西園寺公望の私塾が源流で、西園寺の秘書が創立した学校だったのでしょうがないかもしれませんが。しかし、滝川事件で京大を追われた教授たちを受け入れるなど、リベラルな一面もありました。
さて、戦争に負けて、立命館は微妙な立場に置かれました。GHQでは「解体すべき国家主義的大学」にリストアップされたほど。しかし、戦後に総長になった末川博士の改革や、朝鮮戦争の勃発によって、話はうやむやになり、今日に至っています。戦後に左翼色が強くなったのは、戦前の右翼色の揺れ戻しなのではないでしょうか。
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