日本人F1ドライバー列伝

2010.10.18 Monday 14:38
kazuto funahashi


しかし、翌1990年にエスポラルース・ランボルギーニに移籍した鈴木は日本GPで日本人初の3位表彰台を獲得した。

1991年には若手有望株だった服部尚樹(はっとり・なおき)が日本GPとオーストラリアGPにスポット参戦するものの、予備予選落ちとなった。

1993年には「カミカゼ・ウキョウ」という異名で欧米レース界でも有名であった、片山右京(かたやま・うきょう)がラルースから出場。翌年にはティレルに移籍し、ドイツGPで予選5位となった。これは当時、日本人の予選最高記録であり、中嶋はファステストラップを取り、鈴木は表彰台、片山は予選最高順位を取ったことになる。ちなみに名前は伯父の片山左京(仏文学者で慶応大学教授)が命名した。

1993年にはスポット参戦として国内カテゴリーで強かった鈴木利男(すずき・としお)が日本GPとオーストラリアGPの2戦に出場。

1994年は野田秀樹(のだ・ひでき)、井上隆智穂(いのうえ・たかちほ)がデビューするが、いずれも弱小チームだったため目立った成績はあげられなかった。

右京が引退したあと、やや沈滞した日本人ドライバーだったが、久しぶりに「勝てる人材」としてデビューしたのが、高木虎之介(たかぎ・とらのすけ)だ。
中嶋悟の教え子として国内優勝したあとに1998年ティレルから参戦。前年には国内でライバルだった中野信治(なかの・しんじ)がプロストからデビューしており、ポイントも稼いだが、表彰台に登ることなくシートを失っていった。(二人はF1のあとにインディカーへ移籍したことも同じである)

数年たち、新しいタイプのドライバーが出てきた。
2002年にジョーダンから参戦した佐藤琢磨(さとう・たくま)である。早稲田大学卒、19歳までは自転車選手などの異色の経歴を持つ。マシンがキマった2004年のヨーロッパGPでは予選2位を獲得、アメリカGPでは3位表彰台を獲得する。しかし、その後、BARは売却され、戦闘力の劣るスーパーアグリに移籍するものの、資金が尽きてチームは解散することになり、現在はインディカーに参戦中だ。

同時期に参戦していたもう一人のドライバーに中嶋一貴(なかじま・かずき)がいる。中嶋悟の長男で、着実にステップアップして名門ウィリアムズからの参戦となったものの、2年で目立った成績を残せず解雇された。

スーパーアグリは「オールジャパン」を目的としたチームであり、セカンドドライバーとして起用されたのが井出有冶(いで・ゆうじ)だったが、「まだF1を走る技量がない」としてスーパーライセンスを剥奪されてしまう。これはF1の歴史上、初めてのことだった。

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