日本人F1ドライバー列伝
2010.10.18 Monday 14:38
kazuto funahashi
日本のF1ドライバーにはなぜか変わった名前の人が多いような気がする。
これまで、どんな人がいたのか振り返ってみよう。
F1史上、初めての日本人ドライバーは高原敬武(たかはら・のりたけ)。
国内のタイトルを総ナメにした日本最強のドライバーだった。
1974年のF1ノンタイトル戦に出場している。
次は、鮒子田寛(ふなこだ・ひろし)だ。1975年のイギリスGPとオランダGPに出場したが、予選落ちした。
1976年は初めて日本でF1が開催された。富士スピードウェイで行われたレースには、先に書いた高原のほかに、長谷見昌弘(はせみ・まさひろ)と星野一義(ほしの・かずよし)がスポット出場。長谷見は一回目の予選で4位となり、外国勢を驚愕させたものの、その後の予選でクラッシュ。本選までにはなんとかマシンは修復できたものの、本調子からは遠くおよばなかった。星野はご存じ「日本一速い男」。21位完走。
翌年開催されたF1日本GPにも高原、星野が参戦。そのほかにベテランの高橋国光(たかはし・くにみつ)が出場した。このレースではロニー・ピーターソンとジル・ヴィルニューブがクラッシュして車が観客席に突っ込み、2人死亡、7人重軽傷という事故が発生。
おりしも、暴走族が社会問題となっていたご時世に、モータースポーツに対しての世間の目は厳しく、興行面も赤字であり、あと2年あった開催権を返上。
日本におけるF1は1987年の鈴鹿サーキットまで10年の空白となる。
1987年からはフジテレビによる全戦放送が開始。そして、国内最強ドライバーだった、中嶋悟(なかじま・さとる)が日本人初のレギュラードライバーとして名門・ロータスのシートを獲得。初出場で7位入賞を果たした。そのほか、1987年のイギリスGPとオーストラリアで4位入賞。とくにオーストラリアGPではファステストラップを獲得するなど活躍した。
翌年、1989年からは鈴木亜久里(すずき・あぐり)が日本人2人目のフルタイムドライバーとして参戦。鈴木は父親がフランス系ハーフで、自身はクォーター。名前は漫画「クリちゃん」に登場する「アッちゃん」と「クリちゃん」に由来する。
1988年の鈴鹿でスポット参戦していたのだが、1989年からはザクスピード・ヤマハから出場、そして、全戦予備予選落ちという不名誉な記録を樹立してしまった(このころはバブル経済全盛で出場チームも多く、予選出場権を争う予選の予選が行われていた)
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