鳩山家がお金持ちなわけ。

2009.10.01 Thursday 20:34
kazuto funahashi


音羽に御殿のような家がある鳩山首相だが、この家はどうしてお金持ちなのかを調べてみた。


ひいひいおじいさんは美作勝山藩(岡山県真庭市)の藩士で、江戸留守居役だった鳩山博房。この位は藩士の中ではかなり高位。国元では家老職に相当する。ちなみにこの藩は譜代で2万3000石と小さな藩で藩主は三浦氏。
ひいひいおじいさんがこのような高位の藩士だったので、この代ですでにお金持ちだったことが予想される。

ひいおじいさんはひいひいおじいさんの4男として生まれた鳩山和夫。開成学校(後の東大)を卒業後、第1回留学生に選ばれてアメリカに留学、コロンビア大学とイェール大学で学位を取り帰国。専修大学の設立に尽力し、東京帝国大学講師や弁護士として活動。東京府会議員を一期つとめたあと、外務省入省、取締局長まで昇進ののち、東京帝国大学教授。東京専門学校校長(のちの早稲田大学)に就任。衆議院議員当選、衆議院議長。外務次官。

大学と政界を兼務して活動していたようです。明治時代に米国帰りというのは超エリートでしょうから、とかくいろんなことをやったりやらされたりしたのでしょうし、当然俸給は高かったでしょうね。

おじいさんはひいおじいさんの長男として生まれた鳩山一郎。日ソ国交回復を成し遂げた、自民党初代総裁として知られている人。東大卒業後、父親の弁護士事務所で活動。父の死後に東京市会議員・衆議院議員に当選。内閣書記官長、文部大臣を歴任するも、帝人事件で汚職の疑いをかけられて辞職。戦争中は軽井沢にて隠遁生活。戦後は自ら結成した自由党の総裁となり、戦後最初の総選挙で第1党、首相指名を待つばかりというタイミングでGHQから公職追放処分となる(これは戦前に海軍軍縮条約に反対するため、「統帥権干犯」の主張をして軍部独走の原因を作ったことが原因)。脳梗塞で倒れるものの、追放が解除となり日本民主党結成、総裁として選挙に勝ち、首相となる。なぜ、最初に作った自由党から出なかったかというと、「鳩山が戻ってくるまで総裁をあずかる」としていた吉田茂が居座ったため。

お父さんはおじいさんの長男として生まれた鳩山威一郎。東京帝国大学を首席で卒業後、大蔵省入省。途中海軍に召集されるが、戦後に復帰し、大蔵次官まで昇りつめる。退官後、参議院議員当選、外務大臣をつとめるものの、病気がちでめだつた活動ができず参議院議員を3期勤めて引退。奥さんはブリジストン創立者の娘。ということで、ブリジストン株をけっこう持っているという話です。

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