1Q84読破。

2009.07.10 Friday 19:02
kazuto funahashi


一気に読み終えました。


なんというか、おもしろくなくはないけれど、今までで最もいいかというと、そうでもない感じ。最後は唐突に終わっていて、途中でプツンと話が切れている。続編があってもおかしくない。

テーマ的には純愛なんだろうと思う。

正直、ここまで売れるような話でもない気がする。文章の装飾が多い分、「水増しされた」感じがしないでもない。それを重厚な筆致と表現するのなら、そうなのかもしれないけれど、作者が文中で「空気さなぎ」のリライトをしているときに、「ムダな部分をそぎ落とす」なんていうことを言っていたわりには、この小説にはムダな部分が多い気がする。
青豆はどうして死のうとしたのか(あの表現では死んだかどうか不明だが)。「さきがけ」から追われるようになってからでも遅くはないんじゃないのか。


「ふかえり」は青豆が天吾を見つけると言ったけれど、それはただ、「公園で月を眺めている天吾」を文字通り「見つける」だけの意味なのか。そして、ふかえりのドウタはどこへ行ってしまったのか。
「空気さなぎ」によれば、あの「ふかえり」はマザであり、実の父親に犯されたのはドウタであるから、あの「お祓い」はおかしいのではないか。
リトル・ピープルがやってきて、ふかえりのドウタが出現した夜に、ふかえりのマザは逃亡して戎野先生のところへ行ったわけだから、あのふかえりは宗教団体化した「さきがけ」のことはなにも知らないはずなのに。

しかし、マザであるふかえりに生理がない、というのも変だ。あのふかえりは「ドウタ」なのか。もくしは、ドウタが作られた女性には生理がこないとでもいうのか。

そのあたりが矛盾している気がして気になった。

宗教団体「さきがけ」がオウム、「証人会」がエホバの証人をモチーフにしているのは誰の目が見てもあきらかだが、最初のコミューンがヤマギシ会をモチーフにしているのは、少しわかりずらいかもしれない。


そして、作者の知識不足から来る間違い。

「北海道の歌志内市郊外」という表現は間違い。
なぜかというと、歌志内市全域が郊外みたいなものだから。
北海道で生まれ育った奥さんの論評です。


comments (0)
trackbacks (0)


<< 進化するハロ5
今週の「太陽系をつくる」(26) >>
[0] [top]


[Serene Bach 2.24R]